知立の山車文楽とからくり
ちりゅうのだしぶんらくとからくり
概要
知立神社の祭礼は、今は毎年五月二日と三日に行われ、その隔年ごとの大祭に、計五基の山車が各町内を巡行して同社境内に曳き出され、そのうちの山町、中新町(中町、新地町)、本町の三基の山車では人形浄瑠璃が、西町の山車では、からくり人形芝居が行われる。各山車は二層で、一層目正面の唐破風造りの前戸屋【まえどんや】と呼ばれる所に三味線と太夫がすわり、人形浄瑠璃は、その前に舞台を引き出し、周囲に手摺をめぐらせ、三人遣いで演じられ、からくり人形芝居は、同様に前戸屋の浄瑠璃に乗せ、上の二層目に四体の糸からくりの人形を配して上演されている。
同地に残る史料(『中町祭礼帳』愛知県指定有形民俗文化財など)で、江戸時代中期から、人形浄瑠璃やからくり人形が行われていたことが確かめられ、その後明治期まで各町内四町の山車の、それぞれ下層で三人遣いの人形浄瑠璃が、上層でからくり人形芝居が行われていた。
このうち人形浄瑠璃は、宝暦七年(一七五七)から、ほぼ隔年ごとに上演された演目の多くが記録されており、第二次大戦の前後に中断があるものの、山車で行われる三人遣いの人形浄瑠璃という、きわめて珍しいかたちで、『三番叟【さんばそう】』、『傾城阿波【けいせいあわ】の鳴門【なると】』など様々な演目が上演されてきた経過をたどることができる。
知立のからくりについては、早い例として延享四年(一七四七)の記録に『からくり』という語があり、その後の記録で、山町の山車で『百合若高麗軍記』、『敵討巌流島』などの演目がくりかえし上演され、時代につれて、いろいろと工夫され発展していった様子がわかる。現在、西町で上演される『一谷合戦【いちのたにのかつせん】』は、登場する人形の墨書銘などから文化、文政期(一八〇四?三〇)頃に成立したとされ、操作は糸により、人形に矢を射させたり、桜の枝にぶらさがり渡っていくなどの一連の動きが、浄瑠璃にあわせて演じられる。
祭礼に曳き出される山車の上に人形を飾りつけたり、その人形をからくりによって動かしてみせることは、全国各地に伝承されているが、以上のように知立の山車文楽とからくりは、同一の山車の上層と下層で、からくり人形芝居と人形浄瑠璃を、それぞれ演ずるという珍しい形態を、今も、うかがわせるものとして貴重である。
よって重要無形民俗文化財に指定し、その保存を図ろうとするものである。