薬看板「五臓円」(下牧野村 荒木岡三郎)
くすりかんばん ごぞうえん しもまきのむら あらきこうざぶろう
概要
現在の高岡市下牧野の荒木家の薬看板。
上から「官許/(商標)/煉製/越中国射水郡下牧野村/五臓円/本舗 神璽社守護方 荒木岡三郎(印)」と彫られている。
荒木家は旧家で、興国3年(1342)、南朝方として転戦していた宗良親王(後醍醐天皇の皇子)が越中に入国した際に随従した者の一人である荒木八郎(相模)の子孫と伝わる。南朝が敗れた後、荒木氏は親王がまず仮宮とした牧野に土着した。江戸初期には喜兵衛が十村(大百姓)となって以降代々十村を務めた。
売薬などを商いながら下牧野村長を務めた岡三郎(喜兵衛を初代として9代)は親王への崇敬が厚く、明治7年(1874)に親王を祀った神璽社(しんじしゃ)を下牧野に創建した。平成18年(2006)に神璽社は老朽化のため解体され、近くの白山社に合祀された(関連資料は当館へ寄贈された)。
下牧野村は明治22年(1889)に周辺村々と合併し、牧野村となったので、本資料は明治7~22年の間のものとわかる。