絵葉書「(越中名勝)越中二塚村恒性皇子ノ墓」
えはがき「(えっちゅうめいしょう)えっちゅうふたづかむらこうしょうおうじのはか」
概要
原題は「越中方塚村恒生子ノ墓」とある。高岡市二塚・浄誓寺の南東73m、字山作にある。宮内省の実地調査を経て、1912年1月に陵墓として指定・告示された。
恒性皇子(1305~33)は後醍醐天皇の皇子。父の討幕計画が発覚し、1332年に二塚に配流された。翌年、越中守護・名越時有に殺害された。
えはがき「(えっちゅうめいしょう)えっちゅうふたづかむらこうしょうおうじのはか」
原題は「越中方塚村恒生子ノ墓」とある。高岡市二塚・浄誓寺の南東73m、字山作にある。宮内省の実地調査を経て、1912年1月に陵墓として指定・告示された。
恒性皇子(1305~33)は後醍醐天皇の皇子。父の討幕計画が発覚し、1332年に二塚に配流された。翌年、越中守護・名越時有に殺害された。
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