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絵葉書「(越中名勝)越中二塚村恒性皇子ノ墓」

えはがき「(えっちゅうめいしょう)えっちゅうふたづかむらこうしょうおうじのはか」

概要

絵葉書「(越中名勝)越中二塚村恒性皇子ノ墓」

えはがき「(えっちゅうめいしょう)えっちゅうふたづかむらこうしょうおうじのはか」

その他 / 大正 / 富山県

富山県高岡市

大正元~7年頃/1912~18年頃

紙,印刷

縦9.0㎝×横14.0㎝

1葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-38

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

原題は「越中方塚村恒生子ノ墓」とある。高岡市二塚・浄誓寺の南東73m、字山作にある。宮内省の実地調査を経て、1912年1月に陵墓として指定・告示された。
恒性皇子(1305~33)は後醍醐天皇の皇子。父の討幕計画が発覚し、1332年に二塚に配流された。翌年、越中守護・名越時有に殺害された。

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