浜尻屋貝塚
はましりやかいづか
概要
本州最北端、下北半島東北端部に立地するアワビを主体とする中世の貝塚。14世紀前半から15世紀末まで存続。14ヶ所の地点貝塚があり、殻長6cm前後の大きさの揃った大量のアワビ貝殻などが出土した。貝塚後背部の平坦な盛土整地層では、多数の掘立柱建物や井戸、カマド状遺構等を検出し、これらの建物は漁獲物の加工施設であるとすることができる。また、出土遺物からは活発な交易活動が窺われる。
浜尻屋貝塚は大量のアワビ貝殻と加工施設の存在から干アワビを生産していたものと考えられる。干アワビは古代では地方からの貢納品であり、近世では「長崎俵物」として中国に輸出されていたように、珍重された保存食材として広く交易されていたと考えられる。中世における実態は不明な点が多いものの、既に交易品としての干アワビを生産していたことは注目すべきことである。
この様に、浜尻屋貝塚は中世における海産物加工品生産の実態を良く示すとともに、当時の交易の様相を知ることができる上でも貴重である。