新居関跡
あらいのせきあと
概要
新居關ハ慶長五年ニ創マル海瀟ノ爲其ノ位置ヲ転スルコト二囘現今ノ場所ハ寛永四年ニ移セシモノニテ其ノ建物ハ安政二年十二月ニ成リシモノナリ
慶長5年の創設と伝えられる。もとは現在地の東方向島にあったが、津波のため移転、更に地震のため、宝永5年現在地に移転したものである。もと浜名湖口に面し、船着場もあったのであるが、いまは埋立てのため、地形は一変して旧観を偲ぶよすがもない。
併しながら主要部たる関所建物の現存しているのは幸いである。建物は安政2年12月の改築にかかり、平家建南面し、本屋は入母屋造、本瓦葺、東西に長く、上之間、中之間、次之間に分たれ、その背部に御書院間、御用達場及び上番勝手台所。下番勝手同休息所の桟瓦葺の3棟が附設されている。
この内御用達場及び上番勝手台所の棟は失はれ、その他間々改変のあともあるが、旧規を偲ぶに十分である。殊に箱根、小仏等何れも建物の失はれている現在、主要街道の関所建物としては、唯一の遺存例であり、江戸時代における交通政策、ひいては幕府の統治形態を示すものとしてその価値は極めて高い。
H10-12-036[[新居関跡]あらいのせきあと].txt: 新居関跡は、新居町の中心部に位置し、浜名湖西岸の標高2メートルの低地に立地する江戸時代の東海道の関所である。関所は、慶長5年(1600)の創建と推定されており、当初は現在地よりも東にあったが、元禄年間および宝永年間の災害により関所建物が全壊し、その後現在地に移転したものである。関所は、明治2年に廃止されたが、中心部分の面番所の建物は、小学校・役場として昭和26年まで使用されており、昭和46年には解体修理され、現在も新居関跡の当時を偲ばせる建物として保存されている。
今回は、西側の船会所・女改め長屋・大門のあった部分と東側の船着き場の部分を追加して指定し、関所全体の保存を図ろうとするものである。