蜆塚遺跡
しじみづかいせき
概要
佐鳴湖の東北約1キロメートルの台地に位し、縄文式時代の後期の頃営まれた集落の遺跡であり、4ヶ所は主としてシジミの推積よりなる貝塚を包括している。この地は古くから蜆塚の地名をもって知られていたが、昭和30年から4ヶ年にわたり、浜松市教育委員会によって後藤守一氏を中心とする調査が行われ、貝塚に近接した地域に長方形の床面をもつ住居跡が群在し、貝塚もきわめて厚い層からなっていることを明かにした。
この遺跡は、貝塚及び住居跡群よりなり、貝層の保存状態の良好なことは稀有の例であり、その層位関係による貝塚の性格や集落形態を考える上はもとより、この地方の古文化の地位を知る上にも価値高いものがある。