山中城跡
やまなかじょうあと
概要
小田原城西方防備ノ出城ニシテ天正十八年豊臣秀吉ノ軍ニ攻圍セラレ城将松田直長等戰死シ城遂ニ陷リ以後廢城トナレリ字北條山ノ地域ニ本丸、二ノ丸、三ノ丸ヲ置キ岱崎ニ出丸ヲ設ク壘壕善ク存シ舊規見ルベキモノアリ三ノ丸ノ地ニアル宗閑寺ハ出丸ノ守将間宮康俊ノ女ガ亡父ノ菩提ヲ吊フ爲建立セルモノナリ寺内城将以下小田原方戰死者ノ墓及西軍戰死者一柳直末ノ墓アリ
S49-5-139山中城跡.txt: 山中城は、小田原に本城を置いた後北条氏が西方防備のため16世紀中頃に築いた支城で、昭和9年1月22日に史跡に指定されたが、近年、現指定地周辺で、天正17年(1589)頃の増築時のものと思われる郭・土塁・堀などの遺構が確認されたので、これらを追加して指定することになった。