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湖畔〈黒田清輝筆 一八九七年/油絵 麻布〉

こはん

概要

湖畔〈黒田清輝筆 一八九七年/油絵 麻布〉

こはん

絵画 / 明治 / 関東 / 東京都

黒田清輝

東京都

明治/1897

1面

東京文化財研究所 東京都台東区上野公園13-43

重文指定年月日:19990607
国宝指定年月日:
登録年月日:

独立行政法人国立文化財機構

国宝・重要文化財(美術品)

 黒田清輝(一八六六-一九二四年)は、近代日本洋画史に最も大きな足跡を残した画家の一人である。明治十七年(一八八四)に渡仏してパリの法科大学に留学するが、転じて洋画家を志してラファエル・コランに師事し、明治二十六年(一八九三)に帰国する。明度の高い色彩による新画風を紹介して洋画界に鮮烈な新風を吹き込み、従来の洋画家たちの旧派に対して、世に新派と称された。明治二十八年の内国勧業博覧会では「朝」を発表し、いわゆる裸体画論争を起こした。さらに同二十九年、久米桂一郎と白馬会を結成する一方、東京美術学校西洋画科の指導を任され、同三十一年に同科初代教授となった。同四十年の文部省美術展覧会開設に際しても、指導的な役割を果たしている。
 麻布キャンバス地に、的確なデッサンと薄めの彩色で浴衣姿の婦人を描く本図は、明治三十年八月、箱根滞在中に芦ノ湖畔で制作され、同年の第二回白馬会展に「避暑」の題名で出品された。黒田は「昔語り」(明治三十一年)や「智・感・情」(同三十年・三十三年に加筆)など、西欧絵画の伝統に基づくいわゆる構想画を日本に根付かせる努力をした一方で、「舞妓」(明治二十六年作、昭和四十三年四月二十五日指定・重文)のような日本的な風物を好んで画題に選んでおり、油彩画の日本的展開の可能性を、多様なかたちで追求したことがうかがわれる。「湖畔」では日常的な題材、すなわち団扇を手に涼をとる婦人像という日本的な主題に、西洋画技法を融合させる試みがなされている。それは例えば、外光をふんだんに取り入れた表現を試みながらも、画面全体を薄青色を主調とする淡い寒色系の色調でまとめ、油彩画特有の光沢の強い質感を避けている点等に認めることができよう。その意味で、本図は日本洋画史上に重要な画家である黒田の代表作であるにとどまらず、日本的な油彩画作品として一つの典型を完成したともいえる。
 本図は発表当時から世評高かったが、明治三十三年(一九〇〇)のパリ万国博覧会に「智・感・情」他三点とともに出品されており、作者としても自信作であったことが推測される。明治・大正期の美術を回顧する最初の大規模展である昭和二年の「明治大正名作展覧会」(東京府美術館・朝日新聞社主催)には「湖畔美人」の題で出品され、すでに明治後半期の洋画を代表する一点と評価されており、以後今日に至るまで、近代洋画としては最も広く日本人に親しまれている。
 なお本図は、黒田の遺言により開設された美術研究所(現東京国立文化財研究所)黒田記念室に、遺言で昭和十年に「湖畔」の題名で寄贈されて今日に至っている。

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