文化遺産オンライン

古志田東遺跡

ふるしだひがしいせき

概要

古志田東遺跡

ふるしだひがしいせき

史跡 / 東北 / 山形県

山形県

米沢市林泉寺

指定年月日:20000906
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

 古志田東遺跡は山形県南部の米沢盆地にある,大型建物を核とした平安時代中期の有力者層の居館跡である。遺跡は盆地南部の西縁,丘陵裾から約800m北東の標高約260m前後の沖積地に立地する。古志田東遺跡は,平成11年度に米沢市教育委員会によって宅地造成に伴って実施された発掘調査によって遺跡の内容が判明し,保存を図ったものである。遺跡は東西・南北とも約100mの範囲で,南から北へ流れる小河川跡に面した東岸に展開する。
 発見された主な遺構は掘立柱建物7棟で,このうち中心建物は桁行11間・梁間5間で,北面を除いて3面の廂を備えており,総床面積は約320m2もの広さをもつ。この建物の西側と北側に隣接して建物が3棟あり,さらに少し距離をおいた南側と東側に3棟の建物が配置される。中心建物周囲の建物は方向がいずれも多少異なるが,出土遺物の時期からは同時期に併存していた可能性もある。建物以外では井戸の可能性をもつ円形の掘形をもつ土坑がある。遺跡のすぐ西側を流れる河川跡は建物群と10mから20mしか離れておらず同時期に機能していたものである。幅約10m,深さ約1mで,建物群の北西で流れを北から東へと変える。中心建物の北西には人工的に造成された湾入する部分があり,船着場などの役割が想定される。河川跡からは杯や椀がまとまった状態で出土しているほか,多量の須恵器,土師器などの土器と木製品,木簡,鉄製品等が出土している。
 土器は杯や椀といった食膳具が多い。墨書土器は400点ほどあり,「山田」「五万」「千万」のほか「吉」「王」など一文字のものが多い。呪術的な文様を描くものもある。木製品は椀,盤,曲げ物,桧扇,独楽,弓,物差し,黒漆塗り鐙,鍬などきわめて多様で豊富な内容をもつ。木簡は28点が確認されている。「有宗」「案文」と表裏に記した題箋軸はこの遺跡で文書が保管されていたことを示唆し,「田人」などの労働者とみられる29人・39人・258人などの人数とその性別・年齢区分の内訳を記した記録簡2点は,多数の労働者の徴発にかかわるものと考えられる。さらに「船津運十人」「狄帯建一斛」などは舟運や蝦夷に関係した遺跡の性格を暗示する。これらの木簡は,この遺跡において文書業務が恒常的に行われており,在地有力者層の拠点として多数の労働力の徴発を行い舟運による物資の流通などにも関係していたことを物語る。
 この遺跡は出土土器の特徴から9世紀後半から10世紀前半の時期に営まれと考えられる。この時期は律令社会が変容し,在地においては郡庁・正倉等の施設から構成される郡衙が衰退する時期である。こうしたなかで,河川沿いに営まれた大規模な建物を核にしたこの居館跡は,この時期の有力者と在地社会の様相を具体的に示すものとしてきわめて貴重である。よって史跡に指定し保護を図るものである。

古志田東遺跡をもっと見る

国指定文化財等データベース(文化庁)をもっと見る

キーワード

遺跡 / 建物 / 掘立柱 /

関連作品

チェックした関連作品の検索