功山寺仏殿
こうざんじぶつでん
概要
功山寺仏殿 一棟
功山寺は嘉暦二年(一三二七)、虚庵玄寂の開創になる寺院で、当初は長福寺と称した。仏殿の内陣来迎柱の上部には「此堂元応二年(一三二〇)卯月五日柱立」の墨書がある。様式上の見地から、これよりやや年代が下るのではないかとする説もあるが、この墨書をもって仏殿の建立年代とするのが妥当かと思われる。
方三間、裳階付の建築で、禅宗様仏殿として正規な姿をもっている。ただし、裳階背面の広さを若干広めていることは、室町時代に至って構造の自由化をきたす第一歩がすでに表れているとみるべきであろう。内部は中央部方一間を最も高くして、鏡天井を張り、その周囲は化粧屋根裏で、尾垂木尻で母屋をうける構造法を駆使した禅宗様特有の架構法をみせる。外側の裳階は海老虹梁で身舎と連絡された低い化粧屋根裏となっている。禅宗様仏殿の典型的な一例として価値の高いものである。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)