沙門地獄草紙(沸屎地獄)
しゃもんじごくぞうし(ふっしじごく)
概要
かつて益田家に伝来した全七段からなる地獄草紙の第五段に相当する。旧益田家本地獄草紙は、国宝辟邪絵(奈良国立博物館蔵)とともに長らく一組の地獄草紙として伝わった。その内容は、十六巻本『仏名経』が引用する『馬頭羅刹経』に説かれる沙門地獄であることが明らかにされており、本品はそのうちの「沸屎地獄」に相当する。平安初期から宮中で行われてきた仏名会で使用される地獄変御屏風には、沙門地獄が描かれた。同屏風には辟邪神の姿が描かれていた可能性もあることから、本品を含む旧益田家本地獄草紙と辟邪絵は地獄変御屏風の図様をもとに描かれた元来一具の絵巻とする説も提示されている。
本品は、詞書における寂蓮流の書風や、人物描写において下描きや隈取を丁寧に施すという平安時代大和絵の伝統的な手法が認められる一方、馬頭羅刹の肉身に用いられる極度の肥痩を伴った線描などに鎌倉時代への過渡的な様相も見て取れることから、その制作時期は平安末期から鎌倉初頭と考えられるだろう。