旧函館博物館2号
きゅうはこだてはくぶつかんにごう
概要
・明治15年(1882)、開拓使の廃止に伴い、北海道が札幌、函館、根室の3県に分かれると開拓使函館仮博物場は函館県博物場となりました。明治14年の開拓使東京仮博物場の廃止により、多くの資料が東京から移管され展示室が狭くなったことから、明治16年7月に新たな博物場建設が開始され翌月に完成し、展示等の準備を経て明治17年8月11日に函館県博物場第二博物場が開場されました。
・建物は、洋風の平屋建で当初屋根は杉の柾葺だったが後に亜鉛葺となりました。玄関は、コリント様式風の装飾柱と半円形のアーチが設けられ、上部半円形縦長の窓は分銅による上下スライドの開閉式となっていました。当時は外壁全体は白色、正面玄関の柱、アーチは青色、窓枠は黄色、屋根棟飾りは白色のペンキが塗られ色彩豊かな建物でした。
・函館県博物場第二博物場は、明治24・25年にかけて庁立函館商業学校附属商品陳列場、明治28年に函館水産陳列場(第二館)と相次いで改称されましたが、昭和7年(1932)8月より先住民族館の看板が掲げられ、昭和41年の市立函館博物館本館開館まで使用されました。