開拓使三角測量一本木基点
かいたくしさんかくそくりょういっぽんぎきてん
概要
・開拓使は正確な北海道地図を作成するため、明治6年3月雇米人ジェームス・R・ワッソンを測量長に任命し、4月から三角測量事業を開始し、勇払と鵡川間に勇払基線を設定しました。
・明治7年米人モルレー・S・デイがワッソンに代わって測量を行いましたが、勇払基線を検証するための徴験線が必要なことから、明治8年函館に助基線を設定することになりました。
・同年11月に亀田村(現在の函館市田家町)と亀田郡一本木村(現在の北斗市字一本木)の基線に標台と標塔を建て、基線の予備測量し、翌9年6月に精密な測量を行いました。
・北斗市字一本木に現存する標石1基は上辺30.1センチメートル四方、底辺45.0センチメートル四方、高さ96.5センチメートルの安山岩製で、明治42年にその存在が確認されました。
・昭和45年には発掘調査が行われ、標石の土台石の下に函館測候所の創設者である福士成豊の名が刻まれた石柱を確認しました。
・国内要所の測量の開始が明治7年以後であることから、北海道の三角測量事業は我が国における本格的な三角測量の先駆をなしたと言えます。
・函館基線のもう一方の亀田基点は、現在の函館市田家町9-29の大称寺敷地内にありましたが、昭和45年に発掘調査され、石柱は北海道開拓記念館に保管されています。現地には「北海道開拓使測量基標亀田村基標跡」の碑があります。