紙本著色四季花鳥図〈/六曲屏風〉
しほんちゃくしょくしきかちょうず〈/ろっきょくびょうぶ〉
概要
本図は、最近知られるようになった室町時代漢画系著色花鳥図の一本であり、中屏風ながら、のびのびとした表現と清々しい画趣を有する作品である。技法は典型的な楷体著色であり、用筆用墨は力強く、熟達した水墨画家のそれを示す。両隻の端に「越渓周文」の長方印が捺されているが、明らかに後捺である。それとは別に、両隻ともに画面下辺から約三〇センチメートルのところに約三センチメートル四方の欠失があり、印影を切り取った痕跡と思われる。
本図の作風は非常に個性的であり、二十余点遺存が報告されている「藝愛」印のある作品群のなかに共通した表現を見出すことができる。たとえば、風にしなるように大きな弧を描く桃、松、椿の幹の表現は、それらの作品に広くみられる。本図の松樹の枝先は速度のある斧劈皴のような鋭い筆触をみせるが、共通する筆触は数点の松に鷹図(福井県立美術館・ドラッカーコレクションほか)の松にも見出せる。本図右隻の桃に止まって餌の虫を与える親雀と子雀の姿態は川崎男爵家旧蔵の花鳥図一〇幅のうち「梔に双雀図」(京都国立博物館)と同一である。同じく右隻左端の萱草の雄しべは矢印のような特異な形であるが、先述した川崎男爵家旧蔵本のうちの「萱草に小禽図」の雄しべと全く同じ形である。本図の竹、萱草、芙蓉、椿にみる茶色い虫食葉の表現も、同じく川崎男爵家旧蔵本のうち「芙蓉に小禽図」、先述の「萱草に小禽図」に見出せる。以上から、款記印章はないものの、本図は芸愛の作品とみて誤りないと思われる。
これら小品画に捺される「藝愛」朱文重郭方印は、「越渓周文」印の上方に見出された約三センチメートル四方の欠失に捺されていたと推測することができる。
さて、従来知られている芸愛の作品はほとんどが小品であり、花鳥画が多くを占める。かつて『國華』で酒井家蔵の花鳥図屏風六曲一双が紹介されたが、現在の所在は不明である。したがって、本図は芸愛の確かな作例としては現在のところ所在の判明する唯一の大画面作品であり、ここには小品画に見出されるこの画家の画風の特質が集約されて、しかも明瞭に現れている。先述した以外にも、たとえば岩に打たれた大胆で勢いのある斧劈皴、白と白緑を主調とした明るい色彩感覚が印象的である。活動的で愛らしい鳥と明るい色彩の花卉花木が水墨による透明感ある空間に映え、颯爽とした流動感が画面に横溢しており、本図は芸愛の個性的画風が遺憾なく発揮された代表作といえよう。
芸愛については、『本朝画印』に、小栗宗栗の使用印として「藝愛」印が掲載されているが、これを裏づける確実な証拠はなく、小栗宗栗の名すら江戸時代の史料に至って初めて登場するものであり、同時代資料が知られないなど、芸愛という画家の実態は不明といわざるを得ない。このような状況にあって、芸愛作品中に本図が新たに加えられたことは非常に意義深いものがある。本図の大斧劈皴を重ねて打ち込んだ岩組の量感表現、画面に横溢する躍動感、水墨による山水景観の確かな構成力などは、芸愛が障壁画制作を本領とする一級の実力の持ち主であったろうことをうかがわせる。
また、こうした芸愛画の特質から、その活躍時期は従来いわれる一五世紀後半よりも下降し、桃山時代により近接した一六世紀前半とみなされよう。
本図は室町時代漢画系花鳥画の重要な作例であり、また、狩野元信(一四七六~一五五九)が狩野派様式を確立する時期に、狩野派とは別の有力な画風が存在したことを示し、室町時代から桃山時代への絵画史のゆたかな流れを示す貴重な絵画資料である。