セーヌ河畔
概要
夏の夕暮れに向かう景色だろうか。ほのかに赤い空の向こうに明るい雲がのぞいている。刻々と暗闇に向かう短時間の戦いに、藤島は得意の技術で応じている。したの絵具がまだ乾かないうちに別の絵具を上に塗り、複雑な色彩を生み出す技法。一方、下の絵具が指で触ってほぼ乾燥したことを確認後、別の絵具を上に塗り、下の絵具が透けてみえることで色味に深みが生まれる技法。画面の半分以上も水面が占める大胆な構図のなかで、家々や森などが水面へと的確に反映され、河の流れる速度までもがその描写によって十分に想像出来る。三重県尋常中学校で教鞭をとったこともある藤島は、その後日本の洋画界になくてはならない存在となったが、留学した時期は意外と遅く三十八歳のときであった。幸いなことに、明治三十九年のこの時期、ヨーロッパではマティスやピカソらが新しい芸術を発表した。その場に居合わせた藤島の芸術理解は広がり、その後の国内の若手芸術家のよき理解者ともなった。藤島の画風は一見堅実でありながら、鮮やかな色彩と筆のタッチに織り込まれた精神性の高さは、まさしく留学の収穫だったのだろう。(田中善明)