和歌色紙「麓をは」
わかしきし「ふもとをば」
概要
後西天皇(1637-85、在位1654-33)が『新古今和歌集』巻第5「秋歌下」所収の藤原公実の和歌を墨書した和歌色紙。後西天皇は、父の後水尾天皇の影響を受けて学問を好み、公卿を相手に古典講読を行うほどであった。また、和歌にも卓越した才能を発揮した。
伸びやかで穏やかな書風、渇筆がちな筆跡は、後水尾天皇の書風に近しく、父から手ほどきを受けたことがうかがえる。本品において、潤渇の変化、「は」や「農(の)」、「山」といった、後西天皇に特徴的な筆跡が見られる。
料紙は布目打ちし、表面に凹凸があるが、墨の潤渇、筆線の太細を巧みに変化させている。山形県指定文化財「後西天皇宸翰和歌懐紙(麓をば)」(本間美術館所蔵)は、本品と同じ和歌を書いたものである。本間美術館所蔵品に比べて本品は、柔和で伸びやかな書風である。
なお、本品の内箱外側底面の墨書によれば、本品は京都・毘沙門堂旧蔵であったことがうかがえる。後西天皇の第6皇子で、毘沙門堂門跡や寛永寺貫主、輪王寺門跡、天台座主を務めた公弁法親王(1669-1716)が、元禄2年(1689)に盛岡城下の広福寺(寛文11年〈1671〉に毘沙門堂から法輪院の院号を許される。明治時代に神仏分離により廃寺。)の第3世・康歓に与えたものだとされる。