紺吉服地蔵袍
こんきっぷくじぞうほう
概要
紺吉服地蔵袍
こんきっぷくじぞうほう
制作地:チベット民族
18世紀
絹(金糸入錦 繻珍 平絹) 交織(縞織物) 木綿
丈132.5 最大幅190.0
1領
チベット民族の貴族もしくは僧侶が用いた蔵袍(チュバ)。表地の金糸入りの錦は、清代に宮廷用として官製工房で織られたものが、チュバに仕立てられたものである。この錦は、清朝の官服のうち、吉服袍と呼ばれる種の衣服に用いられた裂である。吉服袍は、皇帝から高位の女官に至るまで着用した清朝の官服の一種である。龍袍と蟒袍が含まれ、皇帝及び皇太后、皇后皇妃が着用する黄色地に五爪の龍を配した龍袍を頂点に、皇太子に許された金黄色地の五爪の蟒袍、それ以外の地色による五爪の蟒袍、四爪の蟒袍といった種類に分かれる。龍と五爪の蟒は同じ形状を示すが、皇帝及びその周囲の女性が身につけるもののみを龍と呼ぶことができる。身分に応じた種類の吉服を皇帝より下賜されることは、主従の関係を結んだことの証でもあり、たいへん重要な衣服である。この吉服袍は、冊封によって清と君臣関係を築いた周辺民族にも下賜された。チベット民族も、清朝と朝貢関係を築いていた。とりわけ乾隆帝はチベット仏教への帰依も厚く、乾隆45年(1780)にパンチェン・ラマ6世(1738–80)を北京に招聘したり、自らの山荘にポタラ宮などを模した寺院を建立したりと、チベットと積極的に交流していた。本作は、清朝と深い関係にあったチベットの政治・宗教的指導者や、その臣下の人々の手に渡った吉服袍であると考えられる。