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絵葉書(高岡関係)

えはがき(たかおかかんけい)

概要

絵葉書(高岡関係)

えはがき(たかおかかんけい)

その他 / 富山県

富山県高岡市

明治40~大正6年頃/1907~17年頃

紙・印刷

各 縦9.1cm×横14.0cm

3葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-221

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

①(高岡名勝)古城公園の一部

高岡古城公園内を撮影した絵葉書である。
本丸北側にあった四阿(東屋)二棟が見られる(左奥のものが明治42年の皇太子行啓の際の御野立所か)。写真奥には松の木が何本か見え、その下には子供達がいる。下部には右読みで「(高岡名勝)古城公園の一部」とあり(茶色文字)、「高岡名勝」シリーズの1枚と分かる(しかし②の絵葉書とはシリーズが異なる)。
 表面には、右読みで「郵便はかき」とあって、通信文の空欄が3分の1である。これは、明治40年(1907)~大正6年(1917)の間に印刷された特徴である。「POST CARD/CARTE POSTALE(フランス語で「絵葉書」)POSTKARTE(ドイツ語で「葉書」)」とある。この面は青色の文字で印刷されている。
未使用。



②(高岡名勝)高岡古城公園(其二)

高岡古城公園内を撮影した絵葉書である。
撮影場所は本丸東側の古城の滝の前(明治36年頃の広瀬万次郎作)と考えられる。写真右には水堀があり、前方から右手にかけて土塁に囲まれており内堀と分かる。左側には子供が2人おり、奥に小さな橋がある。下部には右読みで「(高岡名勝)高岡古城公園(其二)」とあり(茶色文字)、「高岡名勝」シリーズの1枚と分かる(しかし①の絵葉書とはシリーズが異なる)。
 表面には、右読みで「郵便はかき」とあって、通信文の空欄が3分の1である(線中央に「MADE IN JAPAN」)。これは、明治40年(1907)~大正6年(1917)の間に印刷された特徴である。「CARTE POSTALE(フランス語で「絵葉書」)/Postkarte(ドイツ語で「葉書」)Post Card」とある。すべて茶色の文字で印刷されている。
未使用。



③高岡桜馬場の景

桜馬場を撮影した絵葉書である。
桜の花が咲き、提灯も飾られ、その下を人々が行き交っている。道沿いには屋台も出ている。右端には「高岡物産陳列場」「縦覧無料」と書かれた看板が立っている(明治42年以降と判明)。下部には右読みで「高岡櫻馬場の景」とある。
 表面には、右読みで「郵便はかき」とあって、通信文の空欄が3分の1である(線中央に「MADE IN JAPAN」)。これは、明治40年(1907)~大正6年(1917)の間に印刷された特徴である。「CARTE POSTALE(フランス語で「絵葉書」)/Postkarte(ドイツ語で「葉書」)Cartolina Pastale(イタリア語で「郵便葉書」)」とある。すべて茶色の文字で印刷されている。
未使用。



<高岡物産陳列場>
 明治42年(1909)高岡市が県立工芸品陳列場の建物を買収して設立した。高岡市商工奨励館の前身。その後、大正10年(1921)4月、高岡市商品陳列場と改称。昭和12年(1937)高岡市商工奨励館となる。同36年、主業務を市物産センターに移したため、桜馬場の施設は廃止された。
(富山大百科事典編集事務局編『富山大百科事典』下巻,北日本新聞社,1994)

<桜馬場>
 高岡市中心部の地名。慶長14年(1609)前田利長が藩士の武術鍛錬のため、現在のJR高岡駅前と高岡古城公園を結ぶ通りに馬場を造る。馬場の両側に土手を築いて桜を植えたことから、桜馬場通りと名付けられた。北陸有数の桜の名所だったが、昭和30年(1955)自動車の激増で樹勢が衰えたため、彼岸桜を古城公園に移植した。平成3年(1991)駅前ビル・えんじゅ通り間の桜馬場通りは道幅25m・歩道4.5mのブルータイル舗装となり、無電柱化や無散水消雪設備を設けるなどモダンな繁華街に生まれ変わった。同8年の古城公園を主会場とする全国緑化フェア開催に合わせて拡幅工事が進み、市民総合文化広場と結ぶ通りとなった。
(富山大百科事典編集事務局編『富山大百科事典』上巻,北日本新聞社,1994)

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キーワード

読みで / 絵葉書 / 公園 / 高岡

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