絵葉書「高岡名勝」
えはがき「たかおかめいしょう」
概要
①(高岡名勝)「古城公園堀端」
高岡古城公園の堀の一部を撮影した写真絵葉書である。下部に右読みで、「(高岡名勝)古城公園堀端」とある。
現在の場所ははっきりしないが、写真左側の地面が右側よりも高く、本丸など城郭中心部とみられる。右側の土手には桜とみられる木が植えられており、その下を歩く人物が写っている。
表面は右読みで「郵便はかき」とあり、左には「UNION POSTALE.UNIVERSELLE/CARTE POSTALE」の文字がある。また、通信文欄が全体の1/2となっているため、大正7~昭和7年(1918~32)の間に発行されたものと考えられる。
②(高岡名勝)「古城公園」
高岡古城公園の堀を背景に桜の木を撮影した写真絵葉書である。下部に右読みで「(高岡名勝)古城公園」とある。
背景が白くかすんで判然としないが、左奥は木々が茂っており、右側は水面とみられる。木の下から満開の桜を写している。現在の場所は不明。
表面は右読みで「郵便はかき」とあり、左には「UNION POSTALE.UNIVERSELLE/CARTE POSTALE」の文字がある。また、通信文欄が全体の1/2となっているため、大正7~昭和7年(1918~32)の間に発行されたものと考えられる。
③(高岡名勝)「古城公園の桜」
高岡古城公園の桜の写真絵葉書である。下部に右読みで「(高岡名勝)古城公園の櫻」とある。また、活版印刷で字を入れる際ずれたのか、写真を横断するよう斜めにも「(高岡名勝)古城公園の櫻」と入っている。
中央には幹の太い大きな桜の木が写っている。モノクロ写真のためはっきりしない部分もあるが、枝の先が白くかすんだようになっており、桜の花が満開になっているものとみられる。右側奥には建物と電柱が見えるが、本資料も現在の位置ははっきりしない。
表面は右読みで「郵便はかき」とあり、左には「UNION POSTALE.UNIVERSELLE/CARTE POSTALE」の文字がある。また、通信文欄が全体の1/2となっているため、大正7~昭和7年(1918~32)の間に発行されたものと考えられる。
④(高岡名勝)「前田利長公の墓」
現高岡市関にある前田利長公の墓を撮影した写真絵葉書である。下部に右読みで「(高岡名勝)前田利長公の墓」とある。
中央に鳥居があり、奥に石壇と墓標が見える。参拝した帰りであろうか、女性2人が堀に架かる石橋の上を歩いてくる姿が写っている。石燈籠が7基写っているが、右側には1つだけ巨大な石燈籠が設置されている。
表面は右読みで「郵便はかき」とあり、左には「UNION POSTALE.UNIVERSELLE/CARTE POSTALE」の文字がある。また、通信文欄が全体の1/2となっているため、大正7~昭和7年(1918~32)の間に発行されたものと考えられる。
すべて未使用。
なお、本資料は1-05-153に登録されている10葉のうち4葉と同じ写真である。ただし、③、④については、下部に入れられているキャプションが本資料では「古城公園の櫻」「前田利長公の墓」であるのに対し、1-05-153では「古城公園ノ櫻」「前田利長公ノ墓」となっている。
<前田利長公墓所>
前田利長の墓所。3代利常が33回忌にあたる正保3年(1646)に造営。総面積33,000平方メートル1万坪)で、大名個人墓所としては異例の規模を誇る。土塁、石燈籠、墳墓に至るまですべて正方形区画を貫徹。狩野探幽が描いたとされる蓮の彫刻を施した戸室石で墳墓の外観を装飾し、その上に石塔をたてる(最大幅15.5m高さ5.0m ※石塔高除く)。
大灯籠については当初一対で設置するはずであったが、大坂から石を船で運ぶ際、千保川から陸揚げしようとしたところ、一部が川に落下し片方が設置できなかったといわれる。そのうちの一部が高岡市鴨島町の教恩時に残っており、現在は石碑の台座に使われている。
<参考文献>『富山県高岡市の文化財』白鳳会,2009
当館図録『高岡市立博物館常設展「高岡ものがたり」ガイドブック』,2008