色絵鳳凰図平鉢(古九谷写)
いろえほうおうずひらばち(こくたにうつし)
概要
昭和22年(1947)の天皇北陸行幸に際し、高岡工芸学校長兼県工業試験場長・浅野が献上のために制作した3口のうち。寄贈者曰く、加賀の窯元へ1ヶ月泊まり込んで制作したという。1口は献上し、もう1口は浅野の長女(婚家の野路家蔵)へ、そしてもう1口が本資料である。
本資料の現品は古九谷の代表的作品(「色絵鳳凰図平鉢 古九谷」)であり、浅野の写し制作当時、茨城県の眼科医で古美術収集家・山上鎮夫(1897~1993)氏蔵で、のち昭和57年、石川県立美術館新館開館前年に収蔵品となる(石川県指定文化財)。
浅野 廉 あさの・れん 1889・4・28~1972・3・6(明治22~昭和47)
工芸家。雅号は栗三清閑(りつざせいかん)。新潟県長岡市に生まれる。1915年(大正4)東京美術学校図案科卒業。同年石川県工芸指導所に勤務。20年所長となる。40年(昭和15)高岡工芸学校長と県工業試験場長を兼任することになり高岡市へ移住,47年まで在職。工芸デザインに優れ,大正期に新傾向のデザインで農展・商工展に数回受賞。石川県時代に陶芸を学び昭和期に帝展・文展・日展に入選している。古九谷の研究を通じて古陶の鑑定に長じ,墨彩画もよくし,九谷の絵付に格調の高い彩(いろどり)を拓く。41年県工芸作家協会(現富山県工芸作家連盟)の結成に参画。初代委員長を務め,県内の工芸作家の地位向上や技術の発達に指導的役割を果たした。享年82歳。〈定塚武敏〉
(『富山大百科事典(電子版)』北日本新聞社、平成28年8月16日アクセス)