絵葉書「皇太子殿下北陸行啓高岡市御座所」
えはがき「こうたいしでんかほくりくぎょうけいたかおかしござしょ」
概要
明治42年(1909)9月29日~10月2日に皇太子殿下(後の大正天皇)が富山県へ行啓した際の高岡の御座所の写真絵葉書。
御座所とは、天皇など高貴な人の居室。明治41年(1908)10月、行啓が決定した際に桜馬場にあった高岡警察署(前身は富山県工芸品陳列所、県立工芸学校等)を3,000円で払い下げを受け、高岡物産陳列所を新設し、その背後に約10,000円を投じて御座所と庭園を新築した。(『高岡市史』下巻,高岡市,昭和44年)
明治42年10月2日、高岡古城公園の行啓を終えた皇太子殿下は、午前11時25分に車で出発、同45分高岡物産陳列場に到着し、市長、知事の案内で奥の御座所に入られた。銅漆器等を献上し、南弘他13名の拝謁を受け、昼食の後、知事の先導で階上の陳列場を巡覧された。(『富山県政史』第1巻,富山県,昭和11年)
未使用。
【皇太子北陸行啓】
皇太子(東宮)の地方巡察。1945年(昭和20)以前は,天皇行幸に次いで皇室と地方民衆を結びつける行事だった。09年(明治42)の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の行啓は1878年の明治天皇巡幸以来のことで,宇佐美勝夫知事は伏木港・福野農学校など当時の最先端地を案内。鉄道が富山までしかなかったため9月28日に金沢で宿泊し,本県では県会議事堂に行在所(あんざいしょ)を設けて,10月3日まで県内を回った(『富山大百科事典(電子版)』北日本新聞社,1994年)。
これに向けて整備された高岡公園(現高岡古城公園)においては、同年10月2日に奉迎式典が本丸にて開催された。皇太子は午前11時、御野立所に入られた。高岡御車山が全七基曳き出され、児童の手旗信号体操などを台覧に供した。そして、11時40分過ぎには桜馬場の御座所に移られた(『企画展 高岡城』当館,平成20年第2版第2刷)。
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高岡市立博物館