伊予甘崎城図(伊与国松山領真崎之古城図)
いよあまざきじょうず(いよのくにまつやまりょうまさきのこじょうず)
概要
本紙裏に「伊与國松山領真崎之古城図」と記すため加藤嘉明が入部当初に居城とした松前城(現松前町)の絵図のようであるが、これは誤りで、実際には藤堂高虎時代の甘崎城(現今治市大三島)を描いた絵図。
甘崎城は大三島東岸沖にある小島(古城島)を利用した海城で、南に急流の鼻栗瀬戸、北に芸予国境を臨む、芸予諸島の要衝に位置する。戦国末期には来島村上系の村上吉継が城主となり、近世初頭には藤堂高虎が支城とした。高虎が島の周囲に石垣を巡らせ瓦葺の建物を築き近世城郭化したことは有名で、本図にも島を取り巻く石垣や、南東に「大手口」、南西に「裏口」の枡形虎口、北に「船入」も描く。構図の特徴として、東に海、西に「石手川」を描いており、いかにも松前城の絵図であるかのようである。甘崎城図には、「天崎(甘崎)」と題する絵図の他に、「松前城」や、「宇和島(板島)城」「松山城」と誤認しているものが多数あり、その構図から3系統に大別できる。当館でも、本図の他に「伊予板嶋城之図」と題する甘崎城図を所蔵している。
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愛媛県歴史文化博物館