蓬莱柄鏡
ホウライエキョウ
概要
浄阿弥は十六世紀後半に興った京都の鋳鏡師木瀬浄阿弥の初代(元和四年(1618)没)で、元禄期まで七代続き、四代以降は福井城下で活動した。木瀬家は、慶長年間ごろ、片桐且元が北野社に奉納した三十二面の鋳鏡を担当するなど、武家有力者の発注を受けて活況を呈した。なお同家は型押しにより銘を鋳型へ施刻する手法が多く見られ、本鏡の「天下一」「浄阿弥」も銘型によっている。
ホウライエキョウ
浄阿弥は十六世紀後半に興った京都の鋳鏡師木瀬浄阿弥の初代(元和四年(1618)没)で、元禄期まで七代続き、四代以降は福井城下で活動した。木瀬家は、慶長年間ごろ、片桐且元が北野社に奉納した三十二面の鋳鏡を担当するなど、武家有力者の発注を受けて活況を呈した。なお同家は型押しにより銘を鋳型へ施刻する手法が多く見られ、本鏡の「天下一」「浄阿弥」も銘型によっている。
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