恋すてう歌柄鏡
コイステウウタエキョウ
概要
植村河内守は『京羽二重大全』延亨二年(1745)版に京都押小路麩屋町西入の住、また『同』明和五年(1768)版に二条高倉の住とあり、とくに吉永は安永六年(1777)銘鏡が知られるなど、十八世紀後半に活動したことがわかっている。本鏡の法量は十七世紀中ごろの柄鏡に見られるものだが江戸中期に、大型鏡とならんでこのような古式鏡胎の柄鏡も製作されたものと思われる。
コイステウウタエキョウ
植村河内守は『京羽二重大全』延亨二年(1745)版に京都押小路麩屋町西入の住、また『同』明和五年(1768)版に二条高倉の住とあり、とくに吉永は安永六年(1777)銘鏡が知られるなど、十八世紀後半に活動したことがわかっている。本鏡の法量は十七世紀中ごろの柄鏡に見られるものだが江戸中期に、大型鏡とならんでこのような古式鏡胎の柄鏡も製作されたものと思われる。
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