鍾馗物語文衝立
しょうきものがたりもんついたて
概要
伝統的工芸品「高岡漆器」のうち、「彫刻塗」の作家、室谷芳月(政太郎)の衝立。鮮やかな朱漆を背景に、卓越した技量により、立体的に表現され、ダイナミックな構図を引き立たせている。朱描きするのは「紅」色が「降」の字に通じるため。
鍾馗の物語が両面に表現される。表面は鍾馗が橋上で鬼を押さえつけたり、川へ放り投げており、裏面には鬼が山へ逃げ帰る様子が表現されている。芳月が亡くなる前年の作品である。
【鍾馗】
中国で広く信仰された厄除けの神。唐の玄宗皇帝が病床に伏せっていたとき、夢のなかに小さな鬼の虚耗(きょこう)が現れた。玄宗が兵士をよんで追い払おうとすると、突然大きな鬼が現れて、その小鬼を退治した。そしてその大きな鬼は、「自分は鍾馗といって役人の採用試験に落弟して自殺した者だが、もし自分を手厚く葬ってくれるならば、天下の害悪を除いてやろう」といった。目が覚めるとすっかり病気が治っていたので、玄宗は画士に命じて鍾馗の姿を描かせ、以来、鍾馗の図を門にはり出して邪鬼悪病除けにするようになったという。初めは年の暮れの習俗であったが、のちに5月5日に移り、図柄としては鍾馗が刀を振るってコウモリ(蝙蝠)を打ち落としているものが好まれた。これは蝠の字が福に通じることから、これによって福を得たいという気持ちを表現したものである。この鍾馗の信仰は、日本にも伝わって室町時代ごろから行われ、端午の節供を通してなじみが深い。[伊藤清司]
出典『小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)』
【室谷芳月】1900.3.28~1985.4.17
高岡市横田町の漆芸家(高岡彫刻塗)。本名・政太郎。小学校卒業後、金丸友治に師事、その後、高岡彫刻界の元祖・和田長次郎に師事。18歳で独立。以来、高岡漆器業界の発展に尽力した。また後継者育成にも貢献した(弟子は土代太一、石塚久直、石田鉄二、堀井豊和、田中正昭)。1964年、日本漆工協会優秀技術表彰。66年、全国漆器協同組合連合会表彰。67年、高岡市伝統工芸産業技術保持者指定。70年、勲七等青色桐葉章受章。
伝統工芸高岡漆器協同組合木彫部会、高岡巧美会に所属した。
『伝統工芸名鑑』高岡伝統産業青年会編集、高岡地域地場産業センター発行、1984年。『日本漆工 高岡漆器特集号』第358号、日本漆工協会、1981年