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年未詳二月十一日付横山貴林書状(海老坂村五兵衛宛)

ねんみしょうにがつじゅういちにちづけよこやまたかもとしょじょう えびさかむらごへえあて

概要

年未詳二月十一日付横山貴林書状(海老坂村五兵衛宛)

ねんみしょうにがつじゅういちにちづけよこやまたかもとしょじょう えびさかむらごへえあて

文書・書籍 / 江戸 / 富山県

横山貴林  (1695~1748)

よこやまたかもと

富山県高岡市

江戸時代中期 2月11日

紙本・竪紙・墨書

32.9×49.1㎝

1

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-01-154

 余寒見舞いの鱒一尾への礼状。横山貴林(タカモト/1695~1748)は加賀八家(年寄)・横山家6代。本史料は年未詳だが、貴林は享保9年(1724)、大和守に任ぜられたので、これ以降とわかる。
 宛所の海老坂村五兵衛は現高岡市東海老坂(横山家知行地)の旧家・上坂(こうさか)家の人。元禄3年(1690)同家で初めて山廻役(十村分役)となった同家の役儀初代。
 加賀前田家三代当主・利常による農政改革「改作法」施行(1651~56)により、加賀藩は地方知行制から俸禄制へ転換したのだが、この史料によると、旧領主との関係も断たれたわけではなかったことを示す。
 上坂家文書のうち。しかし、木倉豊信「上坂家文書目録」〔『越中史壇』28(越中史壇会、1964.3)〕、及び同「上坂家文書(続)」〔『富山史壇』33(越中史壇会、1966.3)〕に紹介されている35通には見当たらないが、本史料を含む次の6通が連続で巻子装され、その5通目である。
 ①年未詳4月4日付前田利光書状(後欠)、②天正7年(1579)11月16日付神保氏張知行安堵状(海老坂藤兵衛宛)、③年未詳7月28日付奥村伊予守書状(宛所不明)、④年未詳6月20日付横山英盛書状(海老坂村五兵衛宛)、⑤年未詳2月11日付横山貴林書状(海老坂村五兵衛宛)、⑥年未詳5月10日付横山貴林書状(海老坂村五兵衛宛)。この内、木倉の「上坂家文書目録」に①と②が掲載され、④~⑥は上坂家のあった海老坂村の知行領主であった横山家からの書状である。

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【釈文】

余寒為見廻、以飛脚
鱒一尾到来、心添
之程欣然之至候、
其方内異一段之
事ニ候、猶追而可申述候、
謹言、
       大和守
 二月十一日   貴林(花押)

海老坂村
   五兵衛殿

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