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北岡遺跡出土金銅五鈷杵

きたおかいせきしゅつどこんどうごこしょ

概要

北岡遺跡出土金銅五鈷杵

きたおかいせきしゅつどこんどうごこしょ

考古資料 / 鎌倉 / 近畿 / 大阪府

大阪府

鎌倉後期~南北朝

五鈷杵1:材質は銅製で、一鋳されている。連弁帯と蕊帯のくぼみの所々に、鍍金がわずかに残る。中鈷・脇鈷の鈷面には、わずかにくぼみ状の匙面が見て取れるが、いずれも刃部及び刃先に利器としての鋭さを持たない。中鈷と脇鈷の長さは、ほぼ等しい。五鈷杵2に比べて、鈷部より把部が若干長い。脇鈷の横張りは控えめである。各々の脇鈷は、基部に近い外側に嘴(くちばし)形を有する。鬼目は、四個を等間隔に配する。いずれも、横長楕円形を呈する目の周りに三重瞼をめぐらす。連弁は八葉の重弁から成り、間弁を配する。弁端より、蕊を刻む。連弁を締める紐は、二条から成る。脇鈷のうち二本は、出土時に破損しており、遊離した破片の各々に欠失がみられたが、平成12年度の保存処理時に、欠失部を後補している。
五鈷杵2:材質は銅製で、一鋳されている。中鈷・脇鈷・鬼目帯・連弁帯・連珠文帯の各所に、鍍金が明瞭に残る。中鈷・脇鈷の鈷面には、わずかにくぼみ状の匙面が見て取れるが、いずれも刃部及び刃先に利器としての鋭さを持たない。中鈷と脇鈷の長さは、ほぼ等しく、鈷部と把部の長さも、ほぼ等しい。脇鈷の張りは、1よりはやや強い。各々の脇鈷は、基部に近い外側に、嘴(くちばし)形を有する。鬼目は、四個を等間隔に配する。いずれも、円形に近い目の周りに三重瞼をめぐらす。2に比べて、目の突出が強い。連弁は八葉の重弁から成り、間弁を配する。弁端より、蕊を刻む。連弁を締める連珠文帯を挟んで、二条の紐をめぐらす。五鈷杵1に比べて鋳上がりは悪いが、蕊帯及び鬼目帯の文様は1よりも細かく丁寧に仕上げている。
伝世された五鈷杵の型式編年に基づいて、五鈷杵2が13世紀後半から14世紀初頭に制作されたと考えている。五鈷杵1は、鈷部より把部が長く、鬼目の横長楕円形化が著しい等、五鈷杵2より新しい要素を示していることから、製作年代はやや下ると考えられる。

五鈷杵1:最大長は中鈷長で15.1cm、把(つか)部長5.5cm、鈷部最大径4.0cm、蕊帯(しべたい)最大径1.6cm、紐帯径1.0cm、鬼目帯(きもくたい)最大径2.0cmである。
五鈷杵2:脇鈷長と中鈷長が同じで最大長17.6cm、把部長6.1cm、鈷部最大径4.7cm、蕊帯最大径2.3cm、連珠文帯(れんじゅもんたい)径1.5cm、鬼目帯最大径2.5cmである。

2口

大阪府藤井寺市岡1-1-1

大阪府指定
指定年月日:20150403

藤井寺市

有形文化財(美術工芸品)

本品は、藤井寺市北岡遺跡より発掘調査により出土した。北岡遺跡は、羽曳野丘陵の北縁に連なる中位段丘上に位置し、7世紀から9世紀の掘立柱建物群や、12世紀後半から16世紀の井戸や溝等の遺構がみつかっており、古代及び中世を中心とする集落遺跡である。本品は、北岡遺跡の南西端付近において、中世の溝から出土した。この溝は、南北方向に延びて北端付近で西側に屈曲しており、常に滞水状態であったとみられる。溝が半ば埋没した状態の時に、水成堆積層の上から、南北に約30cmを隔てて2本の五鈷杵が、ねじこむような形で立てられていた。この水成堆積層からは、13世紀から15世紀の遺物が出土している。

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