常光寺 本堂・阿弥陀堂・行者堂 附 本堂復興記額(本堂興復戮力記)、阿弥陀堂再建板札、行者堂厨子
じょうこうじ ほんどう・あみだどう・ぎょうじゃどう つけたり ほんどうふっこうきがく(ほんどうこうふくりくりょくき)、あみだどうさいけんいたふだ、ぎょうじゃどうずし
概要
常光寺 本堂・阿弥陀堂・行者堂 附 本堂復興記額(本堂興復戮力記)、阿弥陀堂再建板札、行者堂厨子
じょうこうじ ほんどう・あみだどう・ぎょうじゃどう つけたり ほんどうふっこうきがく(ほんどうこうふくりくりょくき)、あみだどうさいけんいたふだ、ぎょうじゃどうずし
本堂:江戸時代後期・阿弥陀堂:江戸時代後期・行者堂:江戸時代中期
本堂:一間四面堂・入母屋造・本瓦葺,阿弥陀堂:三間四方・宝形造・本瓦葺,行者堂:三間四方・宝形造・本瓦葺
本堂:桁行柱間三間・梁行柱間四間,阿弥陀堂 :桁行柱間三間・梁行柱間三間,行者堂:桁行柱間三間・梁行柱間二間
3棟(附 2点1基)
八尾市指定
指定年月日:20140303
有形文化財(建造物)
常光寺は臨済宗南禅寺派に属し、本尊は地蔵菩薩(南北朝時代・市指定文化財)で、創建は南北朝時代にさかのぼる可能性がある。戦国時代は戦乱により荒廃していたが、江戸時代には以心崇伝の抱え寺として復興が進んだ。また大坂夏の陣で戦死した家臣の墓があることから、藤堂家(伊勢国津藩)とも関係があった。