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顕証寺 本堂

けんしょうじ ほんどう

概要

顕証寺 本堂

けんしょうじ ほんどう

建造物 / 江戸 / 近畿 / 大阪府

大阪府

江戸中期/正徳6年(1716)棟札

桁行11間(実長111.15尺) 梁行11間(実長106.35尺) 入母屋造 平入 向拝3間 本瓦葺
平面構成は、外陣正面が柱間九間で、奥行は柱間六間、内陣とその左右の余間をあわせて正方形の九間堂となる。近世以降の真宗寺院本堂特有の建て方で、外陣及び内陣、余間は全て円柱を用い、内陣には来迎柱を立てて須弥壇、脇仏壇を配し、後門形式となっている。外陣の内部に4本の太い円柱をたて梁をかけることによって堂内の空間に奥行を与えている。梁上の組物は彩色や彫刻で装飾されている。

桁行33.68m 梁行32.20m

1棟

八尾市久宝寺4丁目34番1、37番1他

八尾市指定
指定年月日:20120321

宗教法人顕証寺 代表役員 近松照俊

有形文化財(建造物)

顕証寺は、浄土真宗本願寺派で「久宝寺御坊」とも称する。蓮如上人(本願寺第8世)が明応年間(1492~1500)に「西証寺」として建立したが、天文の畿内一向一揆(1532~1535)によって焼失した。その後蓮淳(蓮如の第13子)によって再建され、顕証寺と改められたと伝えられる。現在の伽藍は、東向きに建つ本堂とその西側に庫裏があり、外郭施設として表門、築地塀、長屋、長屋門、渡廊(いずれも市指定文化財)がある。享和元年(1801)刊行の「河内名所図会」と比較すると、対面所、書院、太鼓楼、含月亭などは失われているが、その他の建物は当時の状態をよく保っている。今回指定した本堂は、宝永4年(1707)の大地震で倒壊した後に再建されたもので、宝永7年(1710)に建築が始まり、正徳6年(1716)に棟上げされたものである。

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キーワード

本堂 / 外陣 / / 内陣

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