中須東原遺跡
なかずひがしはらいせき
概要
益田川(ますだがわ)河口左岸の砂丘後背の低湿地に立地する港湾を中心に発展した遺跡。発掘調査で,潟湖(せきこ)の岸に沿って,船着き場跡と考えられる大規模な礫敷(れきじ)き遺構が,全長約40m,最大幅約10mにわたって存在していることが確認されたのをはじめ,複数の掘立柱建物や鍛冶炉,鉄滓(てっさい)廃棄場,墓,道路等の遺構が検出された。
検出遺構の多くは,14世紀から16世紀のものであり,近接する中須西原遺跡の発掘調査成果や,検出された道路遺構の位置と,明治初期の絵図との比較から,方形の街区が形成されていた可能性が高い。出土遺物には貿易陶磁器が目立ち,中でも中国陶磁に次いで,15世紀代の朝鮮半島産の陶磁器やタイ産の陶器も認められることが注目される。内容が判明した数少ない中世の港湾遺跡であり,港を中心に展開した町の街区が良好な状態で残る等,遺跡の構造が判明する希有な遺跡。
また,遺跡の最盛期は,益田に本拠を置いた豪族益田氏の強い関与が想定される。益田氏が水運と深くかかわっていたことが,『益田家文書』から窺われるが,この文書と発掘調査成果を併せ検討することにより,中世の港湾遺跡の成立と展開,さらには港湾を利用した交易の内容まで知ることができる重要な遺跡である。