四万十川流域の文化的景観 中流域の農山村と流通・往来
しまんとがわりゅういきのぶんかてきけいかん ちゅうりゅういきののうさんそんとりゅうつう・おうらい
概要
「四万十川流域の文化的景観 中流域の農山村と流通・往来」は、四万十川中流域が示す豊かな自然環境と、農林業によって形成される多様な土地利用、流通・往来の営みによって生み出された市街地によって形成される文化的景観である。
四万十町は四万十川中流域に位置し、急峻な山に囲まれた上流域と比較して多様な土地利用の様態を示している。本地区は、その特性から大きく、大正奧四万十区域、四万十川中流区域、高南台地区域の3つに区分することができる。同じ四万十川中流域にありながら3地区は自然的・社会的条件の違いに基づく特徴を示し、それぞれが相俟って豊かな文化的景観を形成している。
大正奧四万十区域の人々は主に林業に従事し、山地を切り開いて棚田や段々畑を営んできた。四万十町は、明治から昭和にかけて近代林業の拠点として成長したため、木材の搬出を担った筏師が暮らすなど、独特の様相が見られた。特に、四万十川中流区域に所在する小野地区には、四万十川流域の林産物を一手に扱う商人達が行商し、ミツマタやワラビ粉とともに、コウゾを原料とした仙花紙と呼ばれる和紙を扱った。この和紙は、四万十川に晒して作られ、戦前まで帳簿用紙・戸籍用紙・土地台帳用紙等として大量の需要があった。
高南台地区域には大規模な田園地帯が広がるが、この区域は仁井田米に代表される県内有数の穀物地帯である。農地が生み出す富みは四国霊場第37番札所の門前町である窪川の発展を促し、商業を基盤とする都市的な営みを四万十川中流域に生み出した。