漆塗太鼓形酒筒
うるしぬりたいこがたさけづつ
概要
刻銘から、本酒筒が文明五年(一四七三)高野山千手院谷にあった四十九院の一坊舎角坊に住む行盛により、高野山の鎮守である天野社(現在の丹生都比売神社)の神宮寺山王院の長床【ながとこ】(参籠所)の什器として寄進されたことが知られ、神事の後の直会【なおらい】に用いられたものと考えられる。
この酒筒はかなり大形であるが、太鼓を模したこの種の比較的小形の酒器(近世以降一般に太鼓樽と称される)は瓶子や銚子とともに古くより酒宴の席で用いられていたようで、承久元年(1219)頃成立した国宝・紙本著色北野天神縁起や、正安元年(1299)奥書の国宝・紙本著色一遍上人絵伝などを初めとして、中世の絵巻物に散見される。
その重量感あふれる雄大な形姿、菊座や切子頭の細工の巧みさなど、用と美をわきまえた優れた造形感覚を示しているとともに、その刻銘により由緒が明確な酒筒の古例としても価値高い。