徳之島カムィヤキ陶器窯跡
とくのしまかむぃやきとうきかまあと
概要
徳之島カムィヤキ陶器窯跡は、九州から南へ約400kmに位置する徳之島に所在する大規模な窯跡である。徳之島は琉球列島のうち奄美大島と沖縄本島の間に位置する比較的大きな島であり、窯跡はその南部、海岸から約3kmほど離れた、標高170から200mの丘陵に分布する。
カムィヤキは須恵器に類似する色調・製作技法で、窯跡発見以前から南島地域一円でグスクなどの遺跡から出土することが知られており、「類須恵器」などと称され注目されていた。昭和58年(1983)、伊仙町阿三の亀焼地内において、県営圃場整備事業に伴うため池建設の際、はじめて窯跡が発見された。カムィヤキの名称は、「亀焼」を地元で「カムィヤキ」と称することに由来する。急遽実施された発掘調査により、二つの地区で窯10数基が確認された。ため池の部分の窯は地下保存され、それ以外の範囲は県史跡に指定された。その後、平成8年度から16年度まで、伊仙町教育委員会による窯跡の悉皆的な分布調査と発掘調査が行われた。その結果、窯跡は東西約1.5km、南北約800mの範囲に、7支群に分かれて分布することが判明した。各支群は複数の地区から構成され、各地区にさらに集中地点がある。詳細な窯の数は不明であるが、現状では100基ほどと推定される。
発掘された事例によれば、窯体は平面いちじく形を呈し、全長4・5m、幅1mほどの大きさの地下式窖窯である。すぼまった燃焼部に焚き口が取り付き、窯尻には煙道が設けられている。床面の傾斜は30から40度ほどあり、床面に焼台が設置されている。製品は還元焔焼成で、表面は青灰色、器肉は赤褐色を呈し、堅緻なものが多い。器種は壺・甕・鉢・碗・水注の5種で壺が量的に多い。製作技法は、輪積みと叩きによる成形、ナデ・ヘラケズリ・ハケ目などの調整を行う。壺を中心にヘラ描波状文を施す。こうした製作技法や焼成・色調は朝鮮半島製無釉陶器に類似する。また、製品は焼成や製作技法により、おおむね二時期に大別され、新しい時期は東方の支群を中心に生産されたと推測される。
カムィヤキの生産された時期は、製品に中国製白磁玉縁碗を模したものがあること、消費遺跡で伴出土する中国製陶磁器や九州産石鍋の年代などから、11世紀後半ころから14世紀前半ころと推定される。流通した範囲は、これまでのところ先島諸島を含む琉球列島のほか九州南部にも及び、その距離は南北1000km以上に達する。
琉球列島における陶器生産はこのカムィヤキに始まる。カムィヤキの生産開始期は、渥美・常滑などの中世陶器ともほぼ同時であり、その意味で中世陶器ともいえる。また、琉球列島のこの時期は、新たにな政治・社会の形成段階として歴史上重要であるグスク時代に当たるが、全般的に文献史料は乏しい。この様な中において、カムィヤキは朝鮮半島系の生産技術や広域にわたる生産・流通の実態など、当時の社会・経済の在り方を知る上で欠くことのできない遺跡であり、全体の保存状況も良好である。よって、史跡に指定し保護を図ろうとするものである。