街
概要
松本竣介は、昭和二十三年、気管支喘息をこじらせて突然、帰らぬ人となった。
三十六歳だった。
中学に上がる直前に失った聴覚、戦争」長女の死、悲劇の画家というイメージが強いが、一方、戦時統制を批判する論文「生きてゐる画家」(昭和十六年)を発表した。
《画家の像》(昭和十六年)、《立てる像》(昭和十七年)では強い意志を体中にみなぎらせている。
悲劇と、生きる意志との相克の上に 立つ竣介のイメージ、これが私の先入観であり、本素描に対しても、その先入観を頼りにただ何となく、都会の孤独を見ていた。
この薄っペらな鑑賞に立体感を与えてくれたのは、先日の回顧展(愛知県美術館)である。
彼の線がきっかけとなった。竣介はモチーフによって線を使い分ける。
ときに定規を使ったようにシャープに、ときに稚拙に。
細部へのこのようなこだわりは、竣介が半ばエンジニア的に画面づくりをしていたことの表れだ。線だけではない。建物や、人の配意など、構図の実験も繰り返された。似たような構図の作品が、いくつも生まれた。
竣介の絵が持つ詩は、心の勢いというより、画面づくりというひた向きな行為に支えられているのである。 (桑名麻理)