豊吉之墓
とよきちのはか
概要
豊吉之墓
とよきちのはか
岩手県
江戸時代後期/1785年
石碑
高さ78㎝(台座石を含んで115㎝)、横24.5㎝(台座石103㎝)、奥行23.5㎝(台座石80㎝)
1基
岩手県一関市
岩手県指定
指定年月日:20110510
有形文化財(美術工芸品)
現在地を含む一帯は、江戸時代に一関藩の刑場であった「橋田原刑場」跡地である。天明5年(1785)11月13日、盗賊の豊吉がこの地で斬罪に処され、遺体は一関藩医に下げ渡され解剖に付された。解剖後遺体はこの地に葬られ、藩医らは墓石を建て、由来を刻して解剖の事績とし豊吉の霊を弔った。近代以降この墓碑は忘れ去られていたが、昭和20年(1945)頃、地元の郷土史家によって発見され、その存在が世に知れた。昭和41年(1966)に東北本線複線化工事にともない、一関市医師会によって50メートルほど南の国道4号線沿いに移され、一関市指定有形文化財として現在に至っている。