文化遺産オンライン

有水備前碑

ありみずびぜんひ

概要

有水備前碑

ありみずびぜんひ

有形民俗文化財 / 室町 / 九州

桃山/1590

自然石

総高50㎝、幅25㎝

1件

有形民俗文化財

 当該碑は、有水神社内にあり、総高50㎝、幅25㎝。碑には「心 有水備前 源長常本上座 敬白 (「時」の俗字)天正十八天己丑(ママ)八月四日」と刻まれている。
 嘉永6年(1853)の藩主斉彬の領内巡視の際に作成された『御道中記』(高城郷士の園田実徳が著した)に「一源長常本上座 有水備前 敬白 天正十八年庚寅八月四日 右備前一往有水を領したる由申し傳え、今に毎年八月四日村中より祭太鼓躍の旧例なり」(都城市立図書館編『島津斉彬・道中記』)とこの碑のことが記されており、有水備前が有水を領有していたと伝えられていること、毎年8月4日に太鼓踊が行われていたことがわかる。
 『高城町史』は、「備前は弓の達人で、有水神社南の湿田に馬を乗り入れたため、敵兵の包囲を受けて無念の戦死を遂げた」という口碑を載せ、また、有水鉦踊りについて、「寛永年間に有水地方は稲虫の害で凶作が続き、これは有水備前の祟りであろうと社祠を建て、鉦踊りを奉納して慰霊供養をしたと言われる。この鉦踊りは戦時中に途絶えていたが、戦後復活されて数年毎に旧8月4日に行われていた」と記している。現在は、有水中学校の生徒が敬老の日に有水備前碑の前で鎮魂の鉦を打ち鳴らし、次いで三島神社で踊ったあとに敬老会で披露している。
 これと似た伝承としては、源平合戦の時に斉藤実盛という武士の乗っていた馬が稲の切り株につまずいて討ち取られ、その怨霊が虫になって稲を食い荒すというものがあり、この実盛の霊を供養して田の害虫を追い払う「虫送り」の行事が全国に見られる。都城市でも、高城町大井手の矢旗踊りで「実盛様云々」とうたわれていた。また、高崎町縄瀬の菅原神社でも昔旧暦7月15日に鉦踊りが奉納されており(『高崎町史』)、歌詞は異なるが「実盛様云々」とうたわれていた。有水鉦踊りも「実盛様云々」とうたわれているので、当初は実盛信仰として伝わっていたものが、有水地域では、慰霊の対象が「斉藤実盛」から「有水備前」に変化したものと考えられる。

有水備前碑をもっと見る

地方指定文化財データベースをもっと見る

キーワード

踊り / / 太鼓 /

関連作品

チェックした関連作品の検索