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宴曲

えんきょく

概要

宴曲

えんきょく

その他 / 南北朝 / 室町 / 近畿

南北朝~室町

重文指定年月日:20050609
国宝指定年月日:
登録年月日:

公益財団法人冷泉家時雨亭文庫

国宝・重要文化財(美術品)

 宴曲は早歌【そうか】とも呼ばれるもので、平安時代後期から室町時代末期ころまで歌い続けられ、その後途絶えてしまった歌謡である。武家を中心に流行した宴席の謡いもので、白拍子の系統を引き、天台声明【しょうみょう】の節回しを取り入れ、多くは七五調でつづられている。歌詞、曲節ともに謡曲の先駆をなしたものである。
 この宴曲を集大成した人物は明空【みょうくう】(生没年未詳、月江)で、その時期は永仁四年(一二九六)以前から元応元年(一三一九)までの約二三年間であるとされる。
 『宴曲撰要目録』は綴葉装冊子本、料紙に厚手の楮紙打紙を用いる。紙質や書風等から南北朝期まで遡れる古写本と認められる。内容は明空による編成順になっており、宴曲集五巻、宴曲抄(上中下)三巻、真曲抄一巻、究百集一巻などの計一六巻、一六一曲名を収録し、さらに編纂時期と作詞・作曲者名を明記している。
 『宴曲』には、坂阿【ばんあ】奥書がある坂阿本と奥書のない無年記本とがある。体裁はともに綴葉装冊子本、料紙に楮紙打紙を用いる。歌詞には墨譜、朱譜、調子点を施すが濁点はない。坂阿(生没年未詳、坂口平三盛勝)は、明空の弟子道阿から宴曲を相伝された人物で、奥書によれば明徳二年(一三九一)から応永元年(一三九四)までの時期に書写したことがうかがえる。明応六年(一四九七)の宗光【そうこう】識語に「此早歌本一部十六帖坂阿博士正本也、殊坂阿自筆判形等分明候也」とあり、宗光は坂阿自筆本を所持していたことが知られる。宗光(生年未詳~一五二三)は、京都府福知山市天寧寺の僧侶で宴曲に優れていたとされ、俗名は大中臣元実【おおなかとみのもとざね】、金山備中入道と呼ばれ、明堂【みょうどう】とも称した人物で、しかも宴曲で将軍義持と義教に仕えたことで著名である。他方、無年記本は料紙や筆跡等からみて室町時代後期の写本と認められる。坂阿本と無年記本との相違点は、坂阿本が丁表から、無年記本が丁裏から書き始めることである。
 『草歌抜書』は「春」「花」等の任意の一四曲を抜き書きし、その後に目録にない「磯城島【しきしま】」「蹴鞠【けまり】」の二曲を書き継いでいる。南北朝期にまで遡る古写本と認められる。
 冷泉家時雨亭文庫本は、編者明空没後、ほど遠くない時期の『宴曲撰要目録』を含む最古写本がまとまっており、そのうちに坂阿書写本が含まれるなど、中世の歌謡研究の中核になる重要な宴曲の古写本群として貴重である。

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キーワード

書写 / 写本 / 本文 /

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