仏涅槃図
ぶつねはんず
概要
諸地巡歴で病をえた釈尊は沙羅双樹のもと、頭を北に向け、右脇を下にして身を横たえ、入寂したと伝えられる。涅槃図はこのような釈迦入滅の相をほとんど共通するパターンによって表現するものである。平安時代に制作された涅槃図は、菩薩・弟子・諸天・大衆などが比較的少なく、画面の中で釈尊の占める割合が大きいのに対して、鎌倉時代のそれは会衆、とくに畜類が多く、周辺の情景に広いスペースがさかれているのを特徴とする。本館蔵本にも多くの会衆が描かれ、また樹間の河波、降下する摩耶夫人の一行、雲間よりもれる月輪などがあらわされる。軸木の墨書銘から、本図は康永4年(1345)2月5日、興福寺大乗院絵所の吐田座頭領、法橋行有(当時76歳)とその子専有(38才)らが描いたものであることが知られる。会衆の着衣にみられる肥痩のある墨線や誇張された雲の形式は、伝統の根強い南都絵所においても宋元様式の影響がみられることを示している。
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公益財団法人 根津美術館