絹本墨画古木牧牛図〈毛倫筆/〉
けんぽんぼくがこぼくぼくぎゅうず
概要
毛倫は諸曁(浙江省紹興府)の出身で、字を仲庠といった。図に押されている印章から寓軒と号したことが知られる。毛倫の作は文人の詩文にも現れず、また歴代の著録にも見出されないが、「越画見聞」は毛倫を元時代の画家として僅かな記事を載せている。それによると、官職に就くことを勧めると目を怒らせて、答えなかったということである。絵をもって米塩の資とし、貧に安じ、元という漢民族にとっての暗い時代に反抗する気慨を持った文人的画家であったようである。
毛倫の作品は本図の他に二点が知られている。そのうちの一つは枯柳に水牛の親子を配した図(妙興寺)で、他の一図は寒林図(徳禅寺)である。「越画見聞」は毛倫について善く木石と墨牛を画いたとしており、我国に伝来した三点の毛倫画は画史の記述の正しさを証している。画風については特段の指摘が無いが、古木の形態は鋭い枝と梢を持った特徴ある形態をしており、毛倫は元時代に復興した李郭派に属することが明らかである。
図はそのような厳しく鋭い形をした古木に水牛、牧童を配している。大きな牛は牧童の綱引く力に抗して歩を止め、後ろを見返っている。左端の土坡の蔭には小牛の頭が見えており、親牛は小牛の歩みの遅さを気遣って牧童に抗しているわけである。情愛の豊かな光景であり、筆者の人間味が感じられる。古木という主題は唐時代以来の永い伝統があるが、毛倫はその伝統的主題に牧牛というこれもまた永く画き続けられて来ている主題を組み合せ、自分の特色ある主題とし、李郭派の画家としての創意を出したものと考えられる。図は毛倫の特色を十分に発揮した作品と言えよう。妙興寺の一作もなかなか捨て難いところがあるが、保存上にやや難があるのが惜しまれる。
本図の伝来については不明である。しかし、妙興寺と同じような主題を室町時代の末の曽我宗誉が画いており、これらの毛倫の作品は室町時代末までには我国に輸入されたものと考えられる。我国には李郭派の伝世は大変少ない。将来中国画の珍しい遺例と言うことができる。