極楽井
概要
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極楽井
Elysian well
1912(明治45)年
絹本彩色、軸 193.5×l00.8cm
color on silk, hanging scroll
第6回文展
古径の芸術を考える上で忘れることができないのは、岡倉天心との出会いと、それに続く紅児会への参加である。1009年前田家の〈加賀鳶〉を描くにあたり、古径は天心から制作にはつねに最高のものをめざすべきことを示唆された。この言葉は強く古径の胸を打ち、生涯の信条となった。また1910年、当時新進気鋭の青年画家の集まりであった紅児会に加わり、安田靫彦、今村紫紅、速水御舟らと親しく交わり、たがいに刺激を受け、歴史風俗画に古典の技法、精神をいかに生かすか熱心な研究を続け、しだいにその方向に作風を展開させていった。1912年第6回文展出品の〈極楽井〉は、初期風俗画の行き方を解釈したものといえるが、その清澄な情趣、豊かで内面性の深い作風は、早くも古径の芸術の輪郭を示している。
「江戸名所図会」によると、小石川伝通院のあたりに霊泉として名高い湧水があり、少女たちがよく汲みにきたという。当時古径が住んでいた本郷弓町のすぐ近くであったことから、興味を覚えてこの作品を描いたという。