世界遺産と無形文化遺産
熊野本宮大社
くまのほんぐうたいしゃ
主情報
- 記載物件名
- 熊野本宮大社
解説
かつては「熊野坐神社」と呼ばれた神社で、周囲を山岳に囲まれた盆地を貫流する熊野川の中州に古代の創祀以来鎮座したが、1889年の熊野川の水害に罹災した後、流失を免れた主要社殿三棟を1891年に現在地に移築し、再建したものである。 記録の上では859年に初めて現れ、10世紀後半には熊野速玉大社と熊野那智大社の主祭神を勧請、合祀して熊野三所権現として祀るようになった。また、11世紀にはさらに眷属神を加えて「熊野十二権現」の祭祀形態が成立し、信仰を集めた。 熊野本宮大社社殿は、1801-07年すなわち水害以前の再建時の部材が大部分を占める。それらの建物の配列は、熊野那智大社・熊野速玉大社の主祭神を合祀する一棟、主祭神の一棟、若宮の一棟が、東西横一列に並ぶのが特徴で、11世紀の参詣者の日記や1299年に描かれた絵画によって確認できる伝統的な形態を保持している。 熊野本宮大社旧社地大齋原は、現社地の東南約0.5㎞の熊野川の中州にあり、19世紀の切石積みの基壇が遺されている。また、その周囲の森林は、かつて塔や護摩堂といった仏教施設が置かれていたところで、神仏習合の遺跡としても貴重である。 備崎経塚群は熊野本宮大社旧社地大齋原から熊野川を南に渡った対岸の備崎にあり、釈迦が入滅して五十六億七千万年後といわれる弥勒仏の出現を願って貴重な経典や仏像を地下に埋納した経塚の遺跡である。2001-02年の発掘調査によって約7haの範囲に数多くの経塚が分布することが確認された。19世紀には、1121年の刻銘のある日本最大の陶製外容器が出土している。また、付近一帯には高さ数mの岩石の露頭が点在し、自然の岩塊に神が降臨するとする古代の信仰の形態をも想定させる遺跡である。