花鳥図
概要
増山雪斎(一七五四年 -- 一八九一年)は、現在の三重県北端に位置する長島を治める大名であった。本名は正賢、雪斎はその号である。
雪斎は、詩文、煎茶、書をはじめ、さまざまな文書に造詣が深く、おそらくはそれらに専念したいがために、四十歳になって隠居を願いでた。それが許されて後いよいよ深く文雅の世界に浸っていった。
雪斎は画家としても、素人の域を超えた技量をみせている。雪斎の描く画は、主として、南蘋(ぴん)派と呼ばれる中国趣味の強い画派系統に属する、色彩の華麗な花鳥画である。
ここに掲出した画は、水墨を主体として、金鶏のとさかにわずかに色を置いている。その点では雪斎らしい画というわけにはいかない。
水墨のモノトーンの画面は、もちろん華麗な色彩が目を奪うということはないが、墨色の微妙な階調の変化は、実際の色彩以上に深い色彩感を与えている。雪斎の生来のカラリストとしての個性が明りょうにここに示されている。
一七九四年(寛政六年)、隠退後まもなくの作品。 (山口泰弘)