風景
概要
この絵が制作されたと想像される1924年は、前田寛治がパリに留学して一年たった頃で、1925年に帰国することになっているから、滞欧生活のほぼ中間にあたる。佐伯祐三(1898-1928)や里見勝蔵(1895-1981)をはじめ、パリ在住の画家で前田自身が「パリーの豚児」と名付けた仲間たちと羽目をはずす、そんな快活な一面も前田にはあったが、その一方で旧友の感化をうけつつ、労働者や工場などにモチーフをしぼった社会主義的レアリスムの画風が気になっている頃でもある。 この《風景》の全体からうける沈鬱な印象は、労働者のいる街の風景という設定からというより、大器晩成ともみえる前田の、それこそ個性のつよさによっているのだろう。ごたごたして稚拙ともみえる空間の処理と、ずっしりと手に重い色彩の感覚。愉悦にみちた一瞬をとらえるのは不得手かもしれないが、かれの才覚はもっと別の、風雪に耐えて生きるところにあった。たとえばその色彩にしてもそうである。くりかえしみているうちに、これはこれでうつくしいと納得することになる、何度みてもあきない不思議な色彩なのである。 (東俊郎)