染付草花文I.V.H.文字入瓶
そめつけそうかもんあい・ぶい・えいちもじいりつぼ
概要
"この瓶の形式は、ヨーロッパのガラス瓶からとったものである。後世では、ガラスより壊れにくい磁器が主流となったが、主として飲料を貯えておく為に使用された。この種の形式を薬瓶(Apothecary bottle) と称するが、これはオランダ東インド会社がバタヴィアの診療所や薬局で専ら使ったからである。オランダ東インド会社と日本との磁器取引が減少しはじめる1700年以降も、会社はこの種の瓶の注文を継続していた。その理由として、康煕の染付瓶より、有田のもののほうがより頑丈で耐久性があったことが考えられる。この形式の瓶が専らオランダ東インド会社社内間で使用されていたことは、比較的に類品の多い頭文字入瓶の存在によって証明されるであろう。これらの頭文字には、V.O.C.という会社自体のものの他に、会社役員のものも多い。ときには牧師のイニシャルも見受けられる。
オランダ文字のⅠをJと読むことに気が付いたマーチン・ラーナー(メトロポリタン美術館東洋部)の研究については№11染付I.C.文字入瓶の際に説明した通りである。I.V.H.の頭文字を有するオランダ東インド会社関係者を拾ってみると、1704年から1709年までオランダ東インド会社総督を務めたヨハン・ファン・ホールン(Johan van Hoorn)(1662~1724) がいる。現在のところ、この人の頭文字と解するのが一般的である。
余談ながら付け加えると、ヨハンの父のピーター・ファン・ホールン(1619~1682)はオランダ東インド会社入社後、東インド総督府員ほか参議員としてバタヴィアに赴き(1663)、対清特派使節となり、5船を率いて福州に入港(1666)、陸路北京に到り康煕帝に謁した。総督の書簡を呈し、自由貿易を交渉したが成功しなかった(1667)という。彼の中国訪問のことは早くもブーヴエが採り上げ、1697年、ブーヴエがパリで出版した『康煕帝伝』に記載している。ホールン家は親子二代に渡って、オランダ東インド会社の重要な地位を占めていた。
この種の瓶では口が二重になっているのが普通だが、この瓶のように一重口の例もある。ジャカルタの国立博物館蔵の瓶は、これと同形式だが、頭文字の組合せが変わっていて、ⅤとHがくっついてIVIとなっている。高さは50~53cm、36~36cm、24~25cmなどの3通りになっている。このうち高さ50cmに達するものは、オランダ東インド会社が6リットル容器として特注した記録が残っている。現在までに判明しているI.V.H.文字入瓶の所蔵者は次の通りである。
1.アムステルダム
国立博物館蔵(二重口) 高さ:49.0cm
2.アムステルダム
個人蔵(二重口) 高さ:25.3cm
3.ニューヨーク
ロージャー・G・ゲリー夫妻蔵(二重口) 高さ:25.3cm
4.ジャカルタ
国立博物館蔵(一重口) 寸法不明
5.東京
個人蔵(一重口) 高さ:53.5cm
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