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五彩花鳥文注器(中国伊万里)

ごさいかちょうもんちゅうき(ちゅうごくいまり)

概要

五彩花鳥文注器(中国伊万里)

ごさいかちょうもんちゅうき(ちゅうごくいまり)

陶磁 / / 中国

中国

乾隆帝・清時代/1736~1796

磁器・中国磁器

L15.5cm, W16cm, H23.5cm

ポルセレインミュージアム

中国磁器・重量身810g, 蓋120g

ハウステンボス株式会社

"染付で文様を描いた上に鉄絵の赤を加え、金彩を使って豪華さを強調する様式をチャイニーズ・イマリ(伊万里写)と称する。もともと有田の染付磁器に赤と金彩を加えたものを輸出したところ、欧州では大層珍重され、後にオールド・ジャパンと称せられたのが始まりである。中国磁器とくらべると高価であった有田の色絵磁器を、中国の安い生産コストで生産して、欧州市場でもうけようと試みたのがオランダ東インド会社の方針であった。したがって中国で伊万里写が盛んに行われた頃には、オランダ東インド会社の有田製磁器の買付は消極的になっていた。
『西方へ渡った磁器』の共著者であるD.S.Howardの研究によると、中国製伊万里で紋章付のものが1705年頃には既に存在していたとのことである。チャイニーズ・イマリという言葉がオランダ東インド会社の文献に現れるのは、1730年からであって、この年にバタヴィアから伊万里写の茶器揃5組を本国に送っている。フオルカーの『オランダ東インド会社の日本磁器取引』の1734年の項には、会社の十七人重役会がバタヴィアの商館へ「日本の色絵磁器のように、艶やかで絵具の落ちない、美しい磁器が中国ではできないものか」と照会している記事がある。フオルカーは、中国の伊万里写は1723年から1734年頃に始まったと考えたようだが、前述のHowardの調査の方が確実なので、フオルカーの記述は日本の色絵磁器の優秀さを語る逸話であると解したい。
1760年には、伊万里写のコーヒー碗皿が12,400個と茶器揃48組が、バタヴィアから本国向けに輸出されているが、その仕入値は一般の中国染付磁器の2倍であった。
標題の注器は、コーヒー・ポットとして使用されたものであろうが、把手と注口とが90度の角度を示している。これは中国で行われた初期のコーヒー・ポットの形式であった。1767年頃の会社の注文書には、使用しやすいように、注口のまうしろに把手をつけるように指示した設計図がそえてある。"

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