樹下双鹿文様錦裂
じゅかそうろくもんようにしきぎれ
概要
中国・遼代の墳墓から出土したと思われる錦裂。遼代の染織品は遺例が少なく貴重である。中国ではこの種の織組織を「遼式斜紋緯錦」と呼称している。これは、遼墓から複数遺例が見つかっていることによる。この種の錦は、西夏の黒水城遺跡など遼周辺地域からも類例が出土している。黒水城遺跡出土の幡裂は、京都・神護寺伝来の一切経の経帙に使用される錦と文様が類似し、また織組織が共通する。これにより、近年、これまで平安時代の作であると考えられてきた錦が舶載裂であることが指摘されるようになった。平安時代の染織品や、遼や西夏と同時期に存在した漢民族国家・北宋の染織品は残存数が少なく、9-12世紀の染織品の全容や流通経路は解明されていない。遼代染織品はこれらの問題を解決する手がかりとなる貴重な作例である。図様は樹下で対面する鹿を丸文様であらわす。鹿の口にはリボン状の装飾物が付属する。一部図様が欠損するが、鹿の上部には樹木が見える。これらはいずれも唐代に中国で流行した西域由来の文様形式である。