『パリ・イリュストレ』全16号合本
概要
『パリ・イリュストレ』全16号合本
1886年1月~1887年4月
紙・冊子・印刷(カラー)
縦44.3cm×横33.4cm
16冊(96頁)
富山県高岡市古城1-5
資料番号 1-03-90
高岡市立博物館蔵
シャルル・ジロー(1853~1903)が編集長を務めたフランスのイラスト入り月刊誌(のちに週刊となる)。1886年1月~1887年4月に発行された第40~61号の全16冊の合本(41・42号、45・46号、48・49号、52・53号、54・55号、56・57号は合併号)で、背表紙に「PARIS ILLUSTRE/2」とある。
第45・46合併号は「日本特集号」(1886年5月/24頁)で、日本文化や習慣などを、高岡出身で当時パリで美術商として活躍していた林忠正が紹介した。本来は渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」が配されたカバーが掛けられているが、本資料は合本のため付属していない。なお、忠正が弟・長崎千里に送った「日本特集号」(個人蔵)の表紙カバーの墨書には、全文フランス語の本文執筆、および掲載した錦絵の選別などの編集レイアウトも忠正が行い、25,000部を印刷し完売したとある。
林 忠正(はやし ただまさ/1853.11.7~1906.4.10)
長年パリで活躍し、西洋と日本との美術文化の交流に寄与した美術商。高岡一番町の蘭方外科医・長崎言定(げんてい)の二男として生まれる。幼名・志藝二(重次)。明治3年(1870)、富山藩大参事・林太仲(たちゅう)の養子となり、林忠正と改名。翌年、藩の貢進生として大学南校(東京大学の前身)へ入学し、理学(哲学)とフランス語を学ぶ。卒業を1ヶ月後に控えた明治11年(1878)1月、東大を退学し、工芸品製作・貿易の国策会社「起立工商会社」に雇われ、パリ万国博覧会の通訳としてフランスに渡る。その後もパリに留まり、のち美術商として活躍。浮世絵などの日本の美術工芸品を大量に輸出し、日本美術研究者や印象派の画家らに多大な影響を与えた一方、日本に印象派の絵画を初めて紹介した。明治19年(1886)には輸出不振に悩む高岡銅器業界に対し『高岡銅工ニ答フル書』を著し、最前線で活躍する忠正ならではの貴重な助言を与えた。同26年(1893)のシカゴ万国博覧会では鈴木長吉に制作を依頼した「十二の鷹」を出品し、大好評を得ている。また、明治33年(1900)のパリ万国博覧会では民間人初の事務官庁に抜擢され、出品計画の過程から指導するなどフランスとの交渉や国内の取りまとめに大きな役割を果たし、フランスからレジオン・ド・ヌール勲章が授与された。明治38年(1905)に帰国したが、翌年病没。享年52。日本に国立西洋美術館の設立を目指して優れた西洋美術品を収集していたが叶わず、そのコレクションは散逸の憂き目を見ることとなった。
<参考>
・木々康子・高頭麻子『美術商・林忠正の軌跡 1853-1906 19世紀末パリと明治日本とに引き裂かれて』藤原書店,令和4年
・青羽古書店ホームページ「パリ・イリュストレ『日本特集号(第45・46号)』」(令和8年3月3日アクセス)
・当館常設展ガイドブック『高岡ものがたり-楽しく知ろう!ひらめき・ミュージアム-』令和2年(第4版)など
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