ゆあみ
概要
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ゆあみ
Bathing
1907(明治40)年
ブロンズ 高190cm
bronze
第1回文展
1907年に開設された文展では、それまで伝統的彫りものや洋風彫塑といった新旧各派に分散し制作していた彫刻家たちにも、総合的な作品発表の場が与えられた。この第1回文展で、新海竹太郎は審査員として参加し、〈ゆあみ〉を出品(石膏原型)して新帰朝洋風彫刻家の熟練のほどを披瀝した。新海は当時としては珍しくドイツのベルリン美術学校でへルテルに就き、官学派の本格的な写実彫塑の技術を学んだ。この作品は、そうした基調をもとにして、東洋的テーマと北欧ロマン主義様式の融合を求めて新古典的作風の典型を示そうとしている。天平風のまげを結い、薄布をまとった裸婦の体躯は多分に理想化されたラテン型のプロポーションである。しかしこのような和洋混合の取り合わせながら、清楚な姿態は格調高い趣をたたえている。これは明冶期のまだ彫刻造形という意識の低かったなかにあっては格段に高度な彫塑技術の成果であった。そうした意味では、わが国の純粋な本格的裸婦彫刻の先駆的な遺品であり記念すべき作品ということができよう。なお、この作品のブロンズ像は現在二体あり、双方とも1957年はじめて作者の甥にあたる彫刻家新海竹蔵監修により鋳造された。一体は山形市にある。