細川忠興覚書
ほそかわただおきおぼえがき
概要
小倉藩主・細川忠興の裁可を仰ぐために家臣が上申事項6件を事書きした「覚」に、忠興が自らの判断を指示したもの。2-13行目にかけて6か条の事書きと裁可からなる本文を記す。4・5・7・9・11行目の行頭には一つ書「一」があったが、料紙の上辺が断たれ欠失する。14行目に年月日を書し、その行頭にローマ字朱印を押す。
忠興は慶長18、19年頃、徳川幕府と豊臣家との軍事的緊張を背景として藩政の権限集中を図り、藩政全般にわたって自ら指示を下す政治システムを構築する。惣奉行が忠興への上申事項について集約し、「覚」の形式に取りまとめて提出すると、起案事項すべてについて忠興自ら指示し、諸奉行らに執行させた。本文書もそのような「覚」の一つであり、慶長末年の小倉藩に特有の文書である。
本文書では(1)関門海峡の港町大里における肥前・筑後の人のための定宿整備、(2)山手の竹木代納米の受取を担当する奉行、(3)山林資源の採取やタラ網漁・鵜飼漁の許可証発給に係る札銭(納付金)の減免、(4)川口における米留(米の移出入制限)、(5)走り百姓(他所に逃亡した百姓)の還住促進、(6)稲刈りの期限設定の6件について、忠興の指示が記される。
<一瀬智執筆, 2024>