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織部香合

おりべこうごう

概要

織部香合

おりべこうごう

陶磁 / 江戸 / 日本

江戸時代/1603年~1867年

織部焼

織部焼(おりべやき)は、桃山時代の慶長10年(1605年)頃、岐阜県土岐市付近で始まり元和年間(1615年-1624年)まで、主に美濃地方で生産された岐阜県を代表する陶器。美濃焼の一種ですが、志野焼の後に造られました。美濃出身の武人で千利休の弟子でもある茶人の古田織部(ふるたおりべ)の指導で創始された陶器で、歪な形、派手な文様、味わい深い暗緑色といった斬新なスタイルが特徴的です。
千利休は渋みのあるシンプルな「詫び寂び」な器を好んでいましたが、その弟子である古田織部は利休の好みとは正反対といえる好みをしており「織部好み」で作られた織部焼は、ほかの焼物にはない自由で豪快なフォルムや奇抜な文様(市松模様、幾何学模様)が特徴となっています。
安土桃山時代は南蛮貿易が盛んに行われた時代でもあり、色鮮やかな渡来品が人々の目を楽しませていた時代でもあったため、従来の茶碗とは全く違うファッショナブルな織部焼は「粋」な人々に愛されたようです。
織部焼といえば暗緑色の「青織部」が有名ですが、鉄分の多い赤土を素地とした「赤織部」、文様のない器全体を黒釉が包み込んだ「織部黒」、窓絵といわれる文様がついた織部黒ともいえる「黒織部」など10種類に分類できます。一般に「織部釉薬」といった場合は、透明釉薬に酸化銅などの銅を着色料として加え酸化焼成したものを言う。
織部焼は、江戸時代ごろまでは茶碗のほかに皿やとっくりなどの食器も盛んに作られていましたが、江戸時代以降は徐々に勢いを失い始め、1615年に創始者の古田織部が切腹したこと、寛永年間に入って古典的な青磁が復興したことの影響をうけ、姿を消してしまいました。

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キーワード

織部 / / 美濃 / 桃山

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